男女を問わず若く美しい時代は、流星の如く過ぎ去り、日々老いて行きながら『自分の人生は本当に有意義だったのだろうか?』と疑問に感じたりするものです。老いは健康 な人も病に臥す人も容赦なく覆い被せてきます。
誰かの手を借り、誰かに支えられ、死への恐怖や締めの心情が毎日繰り返されながら、やがて逝く・・・
全世界の人々が死を迎える瞬間に『我が人生に悔いは無し』と心から思える人の数はどれくらい、おられるのでしょうか?
宗教・セミナー・などで色々な見聞を広め自己犠牲心を養う・・・
死に対する心得は全くと言ってよいほど無知な人に比べれば、少々は覚悟はあるかも知れませんが、それでもなかなか絵に描いたような逝き方を全うできないのが本当のところではないかと私は思っています。
宗 教の一般指導には欲望や怒りは断ち切れとありますが、しかしそのいずれも極地を知った上で悟る事ができるのであり、悩み迷う人の心が、極地を知ることなく、欲を歯止めするブレーキがかかっているだけならば、この悟りは永遠に辿り着くことのできない旅路であると言っても過言ではないと思います。
要するに、愛も怒りも欲も、その真髄を知ることによって、他人に迷い悩む気持ちが理解できるのではないのかということなのです。
煩悩が多いことは悪いことではないと私は、思います。
悪いのは、極地を見ても改める心を宿さないことだということです。
大いに人を愛し、大いに傷ついた人には心身を通しての経験があります。 |